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あまちゃん 震災後の様子

東北大震災の後、北三陸では北鉄の線路が寸断されて、列車は走れない状況です。

そんな中で、大吉さんや吉田さん、ストーブさんが意地をみえます。
トンネルの中に止まっていた列車を、みんなで手押しして押し出していきました。

震災後5日間で、北三陸~袖ヶ浜間の一駅だけですが、運行を始めます。

列車には「震災復興列車」の文字が掲げられ、運賃は無料、一日数便だけの
運行です。

夏ばっぱもウニ丼5個の少量ですが、車内販売を再開します。


列車が運行を始めると、沿線の人たちは、手を振っています。
こんな状況の中でも、けなげに列車が運転する姿を見て、勇気をもらっているようでした。

列車が走るときは、ゴダイゴの銀河鉄道999がバックに流れていました。


ただ、ユイちゃんは、アキちゃんとの電話で、

アキちゃん「コンサートは中止ではなく延期なので、また来てね」

ユイちゃん「延期でなく、中止だよ」

アキちゃん「?」

ユイちゃん「怖くていけない、線路がなくなっているんだよ。アキちゃんがこっちに来て」


しばらくして、東北新幹線も運行を再開します。



潮騒のメモリーは、1週間で上演打ち切りとなりました。

サブタイトルに、「寄せては返す波のように」というフレーズがあり、このご時世、
不謹慎ということなのでしょう。

CDも宣伝することなく、ひっそりと売られていました。



ハートフルの芸能事務所では、鈴鹿ひろ実が仕事への意欲を失っています。

出演依頼はあるのですが、東北の人たちのことを思うと、こんなことをしてても
いいのか、という思いがあるようです。

当時の芸能人は、そのような思いを持つ人が多かったようでした。

ただ、春子は、「東北人の私が仕事をしてくれっと言ってるんだから」

と、鈴鹿ひろ美に声をかけます。


そんな中、アキちゃんはTV番組でがんばっていました。

ただ、番組名は「見つけて壊そう」から、「じぇじぇじぇのぎょぎょぎょ」というタイトルに
変わっていました。



アキちゃんは、東京で北三陸の人たちのことを思い出します。

先輩との会話で、寝る前には、当時親しかった人の名前とその笑顔を思い出している、
と打ち明けていました。

ただ、なぜか、いっそんの顔と名前は何度も浮かんできますが、ストーブさんの
顔と名前は忘れ去られたようです。

「だれか忘れているような気がする。。」とは言っていましたが。


アキちゃんは、夏ばっぱに「今年の夏は潜るのか?」とメールで訪ねます。

夏ばっぱからは、「お構いなぐ」との返事が返りました。









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